今日もやる気が出ないんだァ

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理系学生の自己満足ブログ

「動機づけ」と「報酬」のずれ

ある行動を取ることによる結果的な満足度と、ある行動を取るための動機付けの大きさは異なるという当たり前のことを認識しました。

 

「本当は勉強やダイエットなんかをやるべきだと分かっているけどついついゲームやSNSで時間を潰してしまう」というのは、本心で勉強等をしたいわけではなく本当にしたいのはゲーム等の方なのではないかというのがこれまでの僕の考え方だったわけです。しかし上記の結果的な満足度と動機づけの大きさが異なるということを鑑みるとこの説は別の説明ができることが分かります。つまりゲームやSNSをすることによる満足度は実際には低いにもかかわらず動機づけ(衝動)の部分が大きいがためにそれらの行為に走るということです。別の例を出すと痴漢をしてはいけないと分かっていながらもしてしまうようなものです。

 

うろ覚えの話ではありますが、脳内物質のドーパミンはエンドルフィン等のように幸福を感じるホルモンではなく、「その先に幸福があるであろうからその行動をしろ」と指令すようないわゆる「動機づけ」の物質らしいです。これを先の話に当てはめると、つまりゲームやSNSドーパミンを出しやすいものであってセロトニンやエンドルフィンを出しやすいものではないといえます。逆にダイエットや勉強はドーパミンは少ないものの結果的にエンドルフィンやセロトニンが出やすいものと言えます。

 

おそらく原始時代の人間は飯を食う(狩りをする)、ライバルに勝つ、セックスをするくらいしかやってないのでドーパミンの先にセロトニンやエンドルフィンが直結している構図が明確に成り立っていたはずです。だからドーパミンの衝動のままに行動すればよかったのでしょう。しかし現代社会は原始時代と異なり、ゲームの勝利の先に報酬はないし、逆に勉強というドーパミンが全くでない行為の先にキャリアアップやライバルに勝つといった報酬が待っているため、ドーパミンセロトニン、エンドルフィンの構図が成り立っていないわけです。脳みそが現代社会に適したものにアップデートされていないがいゆえに脳内で「動機づけ」と「報酬」にずれが生じ、結果「報酬」につながらないような行動をしてしまうのだといえます。

 

つまり現代社会において「報酬」を得るには「動機づけ」に抗わねばならないということになりますが、やはりドーパミンの威力は強力でなかなか理性では抗い難いわけです。