リバティアイランドの放牧は決してリバティではない。
大学4回生の終盤ともなると卒論のプレッシャーに襲われる。私の研究は試行錯誤を繰り返すものの芳しい結果が出ず、本当に卒業できるのかと不安が募る日常に嫌気がさし、逃げるように東北に向かった。
旅行自体は楽しかった。行きたかった名所や料理を食べることができ、また旧友にも再会した。予算的にも旅行割や格安チケットを取ることができ想像よりも安く済ますことができた。
しかし、旅行中”卒論”が私の脳裏から離れることはなかった。松島ではpythonコードの修正点を考え、平泉ではシミュレーションの所要時間を概算していた。旅の醍醐味はその道中で自由を感じられる点にあると私は考えているが、この時の私は自由とはほど遠かった。
思うに旅に出るから自由になるのではなく、すでに自分が自由であることが前提としてあって、その自由を旅を通じて実感できるだけなのだ。
思えば私が心から満足できた旅は全て「そのとき自身を束縛するものがない」という条件付きであったように思う。進級が確定した後の春休みであったり、小学生時代であったり、邪念がない純白な心で世界を見てこそ真の感動を得られるように感じる。
ヒルトンもビジネスクラスも必要ない。野宿でも深夜バスでもいいから自由な状態で旅がしたいのだ。