今日もやる気が出ないんだァ

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理系学生の自己満足ブログ

無キャは煩悩を消しきれていない

悲報】「無キャ」と言う新ワードが出来てしまう : Jのログ@おんJまとめブログ

 

無キャという言葉をご存知でしょうか。最近ネットで徐々に広がりつつあるスラングで、陽キャ陰キャ双方に属さない人々を指します。

 

特徴としては

  • アニメやゲームに興味がない。
  • 無気力。
  • 陰キャとも話さない。

 

等が挙げられ、一日中ネットサーフィンしている僕のような自堕落野郎がこれに該当します。昨今はインターネットメディアが充実しすぎて、何かに没頭したり創造的趣味を持たずともSNSやら動画サイトで簡単に暇を潰せるようになり、その結果無キャな人々が増えているのでしょう。今回はそんな無キャについて僕が考えたことを文章化してみました。

 

 

僕は初め「無気力な無キャは強い欲求を持たない状態なのだから、欲求を悪しとする側面から測ると陽キャ陰キャよりも幸福といえるのではないか」と考えました。仏教では欲求のない状態を涅槃と呼び修行の到達点としています。人は○○したい、○○が欲しいと思うからこそ苦しむのであり、そういった欲求煩悩を消すことができれば幸福になれると考えるわけです。この観点から見ると無キャはこれといった趣味を持たない、すなわち余分な欲求を持っていない状態であるため、他の人々よりも涅槃に近い状態なのではないかと考察したのです。

 

 

このように無キャは確かに他者よりも欲求が少ないのですが、しかしこの欲求の少なさ故に他の欲求を満たせないと僕は考えます。

 

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マズローの7つの基本的欲求|やまもと|note

 

上の図は人の欲求をモデル化したものです。マズローによると人の欲求は生理的欲求→安全保護欲求・秩序構造欲求→愛と所属の欲求・承認欲求→自己実現欲求と階層化されており、ヒトは下層の欲求を満たすとより上位の欲求を欲するそうです。またこれらの階層化された欲求と独立して、審美的欲求や知的欲求も存在するということです。

 

無キャはこの欲求のモデルのうち審美的欲求や知的欲求、自己実現欲求が欠如している状態だと私は考えます。趣味がなく無気力というのはすなわち自ら率先して収集したい情報が無かったり、何か自己実現したいことがないわけですからね。

そしてこの欲求の欠如というのは他の人と比べて欲の絶対量が少ないわけですから、一見すると無キャは無欲で幸福なのではないのかというのが先の仮説です。

 

しかしここで問題となるのが現代社会において愛と所属の欲求・承認欲求は知的欲求、自己実現欲求の中で満たされることが多いという点です。

趣味がきっかけで友人や恋人を作る、スポーツが得意で周りから尊敬される等のように、現代社会では愛と所属の欲求・承認欲求は趣味や特技を介して満たすことが多いと私は考えます。

近代以前であれば人は生きていくために否応なしに協同作業をする必要があり、村などの狭いコミュニティの中で愛と所属の欲求、承認欲求を満たすことが出来たでしょう。しかし現代社会は各々が独立して生きていくことが可能になったため、人々は日常生活を超えた仕事や趣味のなかで愛と所属の欲求・承認欲求を満たす必要が出てきたわけです。

 

これらを踏まえたうえで、無キャの問題点は知的欲求、自己実現欲求が欠如している故に愛と所属の欲求・承認欲求を満たす媒介となる趣味や特技を持てないことです。

普通の人はある程度知的欲求、自己実現欲求があるため趣味や特技にのめりこむことができ、それがきっかけで愛と所属の欲求・承認欲求を満たすことができます。しかし無キャは知的欲求、自己実現欲求が欠如しているため、よほど仕事ができるとかでない限り愛と所属の欲求・承認欲求を満たすことが難しいのです。

 

趣味がないから友達ができない、特技が無いから誰からも褒められない、だから愛と所属の欲求・承認欲求を満たせず不満の募る日々を過ごしている。とかいって知的欲求、自己実現欲求が欠如しているから趣味や特技を作ろうと頑張る気にもなれない。これが無キャの正体です。

 

書いてて悲しくなってきたので今回はこのへんで。