今日もやる気が出ないんだァ

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理系学生の自己満足ブログ

選択しないという選択が欲しい

注意資源というものがある。1日の間に人間が選択できる物事の数には限りがあり、選択をすればするほど疲弊していくというものだ。「選択」にはエネルギーが必要なわけで、だからこそスティージョブズは毎日同じ服しか着ることで注意資源を節約していたらしい。

 

長い春休みが終わり新学期が始まるとどうしてもやることが増え、それに伴い注意資源の消費され精神的に疲弊している気がする。課外活動などを殆どしていない僕でさえこれなのだから、アクティブな学生達はどれほど疲弊しているのだろうか、それとも根本的に注意資源の量が違うのだろうか。

 

自立をしていない大学生の分際で疲弊を謳うなど社会人の方々からすると甘えもいいところだが、思うに大学生は他の世代と比べて自主的な選択や行動をより多く迫られるものであり、肉体的な疲弊は少ないものの精神的な疲弊は社会人に匹敵するのかもしれない。

 

「自由」というと幸せに直結する肯定的なものだと捉えられるが、「選択」がエネルギーを要するものであることを鑑みると必ずしもそうとは言えないのかもしれない。本当に幸せな「自由」とはただ「選択ができる」というだけでなく、「選択しないことも選択できる」自由であろう。つまり「AかBかどちらかを選ばなくてはならないがどちらを選んでも良い」というのは不十分で「AかBかどちらを選んでも良いしどちらも選ばなくても良い」という状況が最も幸せだということだ。

 

しかし「選択しないことも選択できる」というのは結局選択してるのかしてないのか、なんだか自己矛盾めいてるなあ。