今日もやる気が出ないんだァ

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理系学生の自己満足ブログ

束縛された暇は苦痛

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先日「楽なバイト」と巷で噂の試験監督をやりました。まあ確かに楽ではあったのですがとにかく暇でしたね。僕は浪人時代に予備校を抜け出して一日中外で雲を眺めていた過去もあり暇耐性が高い方だと思っていたのですが、とにかく試験監督の時間は苦痛でして、スーツを着てかしこまった姿勢をしながら生徒に目を光らせ続ける時間は本当にだるかったです。そしてこのバイトから自由な暇と束縛された暇は全く異なるということに気づきました。

 

 

「束縛された暇」ってなんぞや

やることはないけど好き勝手出来ない時間って案外たくさんありますよね。つまらん授業中とか誰も来ねえ接客業とか窓際族とかそういうの。 暇なのだが他人や環境、義務に縛られ自由に行動することもできないそんな時間、僕はこういう時間が凄く嫌です。何か考え事をしようにも周りが気になって頭が働かないし、気が散ることで心も摩耗するし、自由に体を動かせないからフラストレーションがたまり、しまいには頭が痛くなってきて脳ミソが腐ってしまうんじゃないかという気分になります。束縛された暇は殆ど拷問です、試験監督やるくらいなら繁盛時の居酒屋等暇の少ないバイトの方がマシです、まあやったことないですけど。

 



「自由な暇」は人間本来の姿だと思う

元来動物は暇であってそれは人間にも当てはまると思うんですよ。カバは出勤しないですしシマウマにスケジュールとかないですしね。暇な状態というのが基本であり何らかの欲求が生じるにしたがって動く、これが野生の生き方です。しかしここでいう暇は前項の「束縛された暇」とは全く別のものです、「自由な暇」とでもいいましょうか。義務や世間体など存在せず何をしてもいいし何もしなくてもいい、こういう時間が僕は大好きです。何もしないにしても、仮に「束縛された暇」と同じ 行動をしたとしても、それは己の意志の結果生じた事象であり、自由な暇を享受している事実そのものが僕に遺伝子レベルで 充足感を与えてくれるのです。 



コロナ禍はそういう意味では良かった

コロナ禍の社会全体への損害は大きかったですしもちろん僕自身にも幾らかデメリットはありましたが、逆にコロナによる恩恵を感じている部分もありその最たるものが前述の「自由な暇」の獲得です。ただでさえ暇な我々大学生が通学さえ必要なくなったことで「自由な暇」ライフを存分に堪能することが出来ています。本来こういった暇を得るためには無職や休学など”アウトロー”な選択をする必要があると思うんですが、今の大学生活は社会のレールから逸れることなくアウトローの特権を享受することが出来るわけで、僕はこれに非常に満足してます。世間では「学生は学校生活を満喫できず可哀そう」などと言われがちですがそれは違います、僕は学校生活を強制されない現状にこそ満喫できるのです。



バイト、仕事を選ぶなら…

今後バイトや仕事を選ぶときは仕事内容に対する「束縛された暇」と「自由な暇」の占める割合を意識したいですね。仕事は楽な方がいいかというと必ずしもそうではなく、楽の指す内容が「束縛された暇」だとしたら寧ろそれは僕にとっては苦でしかないわけですから。仕事自体が楽しければ何の問題もないんですがそう上手くも行かないと思うので、出来るだけ「自由な暇」が多く確保できるような職につきたいなあ。