今日もやる気が出ないんだァ

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理系学生の自己満足ブログ

涅槃は怠惰なのか

 

ブログのタイトルからも分かるように僕は昔から怠け癖の強い人間で、周りが「ウェーイ!」ってしてる中「うえ~~~ぃ」という感じで過ごしてきたように思います(伝われ)。大学入ってからも特に何かに集中するわけでもなくダラダラと贅沢に時間を浪費してますしね。

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しかしこの前仏教の本を読んでいると「あれ、怠けって実は涅槃じゃね?俺ブッダか?」と思ったので、そのことについて適当に書いていきます。

 

(※この記事でいう仏教は主に原始仏教のことを指します。大乗仏教の観点は考慮してませんが悪しからず。)

 

 

涅槃ってなんぞや

涅槃
ねはん

仏教術語。智慧(ちえ)を磨き修行を積んで、迷いや煩悩(ぼんのう)や執着を断ち切り、悟りに到達して、いっさいの苦・束縛(そくばく)・輪廻(りんね)から解放された最高の境地をいう。

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

 

要は「欲がなくなってハッピー!!」な状態ってことだと思います。

大事なのは「欲を満たしてハッピー!!」では駄目って点ですね。ブログで1000pv達成したら次は10000pv達成したい、その次は100000pv.....という感じに人間の欲は止まるところを知らないので、「そもそもアクセス数なんてどうでもえーわ」みたいに欲求そのものを断った方が幸せになれるよ~ってことですよね。

 

 

欲求がない=無気力では?

とはいえ僕らが行動する要因って何かしらの欲求があるからですよね。いやいや授業に出るのも卒業してまともな人間になりたいからだし、眼鏡を止めてコンタクトつけるのもモテたいからだし、こうやってブログを書くのも承認欲求を満たしたいからだし....という感じで。我々が日常的に行う行動のほぼ全ては仏教がいうところの「煩悩」に帰着するのではないかと僕は思います。

 

そしてこれを踏まえると煩悩執着を断ち切った先にあるのは「何もやんなくてええわー」という、一般人から見ると「無気力」な状態なのではないかと思うわけです。

仕事もせず結婚もせず趣味もなく生活保護で飯食って寝るだけの生活で満足してる人間は普通に考えると怠け者ですが、欲が無いという観点から見ると案外僕たちよりも悟りに近い次元にいるのかもしれません。実際仏教のお坊さんも托鉢とかで飯食ってますからね。

逆に「大学入ったからにはサークル入ってバイト掛け持ちして飲み会も行って...」みたいな学生や「投資もやってセミナーにも通ってジムにも行ってます!」みたいなサラリーマンとかは仏教的にはなんか違くね?となりそうです。僕らは小さいころから「夢は大きく」とか「色んなことにチャレンジ」みたいな啓蒙思想に囲まれて育ってきたわけですが、「実は全部逆でした~」というパラダイムシフトが起こるのが仏教なんですかね。

 

で、ここまでの話を僕自身の自己弁護に用いると「まあ確かに僕は大学にもろくに行かずサークルにも入らず交友関係も殆ど広がってないし、家でも何か生産的なことをするでもなくダラダラとネットサーフィンをして過ごしていることが多いけどね、それは仏教的に考えたら煩悩を最小限に抑えこんで日々を過ごしているわけで、僕はこのストレスレスな生活を結構気に入ってるんだよねえ」という感じになります。

 

とはいえ自分の好きなようにやればいいよね

仏教は「悟りはあくまで自己完結である」というスタンスであり僕はこの点を非常に気に入っています。他の宗教は「信じないと地獄に落ちるよ」とか「お前もこの教えに従え」みたいな使役の要素を含んでいる点が多いのに対し、仏教は「こういう考え方もあるんやで」と紹介をしているだけという立ち位置なんですね。要は自分が幸せなら放蕩生活でも修行生活でもなんでもよかれということですね、あくまで「欲まみれの生活をしても本当の意味で幸せになれなくね?」と疑問提起をしているだけです。

 

なんで「怠けこそが本当の悟りなんだ!」とか「一度きりの人生頑張らなきゃいけないんだ!」とかレスバするのは不毛で、「人によって生き方色々だよね~」という感じで価値観を押し付け合わないのがいいんだろうなあと思います。

 

結局何が言いたい文章なのかよくわからなくなりましたが、とりあえずはそんな感じです。