今日もやる気が出ないんだァ

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理系学生の自己満足ブログ

漫画を描くのがめっちゃむずかった話

 

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小学生の頃とかは次から次へと色んなことが湧いてきて一人で漫画雑誌作ったりもしたんですが、今となっては1ページの漫画作るのにも頭を悩ませなければなりません。小さいころと比べ受動的な娯楽が増えたことで自分で楽しみを考える機会が減ったことが原因でしょうね。

 

最近はゲームを起動することすら面倒くさく、動画やSNSで一日中時間を潰すことが多くなっている気がします。受動的な娯楽が充実しすぎて、能動的な娯楽をやる意欲が霧消しているわけです。多分これは僕に限った話ではなく世間全般に言えることで、だからこそvtuberとかゲーム性皆無ゲーとかが流行るんじゃないかと思います。「ゲームばっかりやってるやつはクズ」という時代は終わり「ゲームすら集中できないやつが本当のクズ」と言われる時代が近づいているのかもしれません。

 

別に面倒くさいという感情が悪いわけではないと思います。問題は「めんどくさい」欲求によって行動を放棄すると他の欲求、特に承認欲求が満たされなくなる可能性が高いという点にあります。

 

承認欲求は本来何かを成し遂げたりそれを他人から称賛されることで得られるものです。何かを成し遂げようとするには一定数の努力、集中が必要であり、これは「めんどくさい」の対極に位置するものだといえます。人は承認欲求があるからこそ潜在的な「めんどくさい」に打ち勝ち行動を起こすものです。しかし受動的娯楽の台頭で「めんどくさい」の表面化が進む現状、相対的に承認欲求をトリガーとして行動を起こすことが難しくなりつつあります。しかし承認欲求そのものが消えたわけではないため、人々は一定数の努力、集中無しに歪んだ形でこの欲求を満たそうとします。具体的に言うとガチャマウントや、スパチャや、SNSでの自己アピールなどです。

 

ネット上でのマウントは従来よりも簡単に承認欲求を満たすことが出来るという理由だけでなく、ネットに依存することで承認欲求のために奔走することが出来なくなった結果その代替手段として引き起こされる現象でもあると言えるでしょう。

 

 「めんどくさい」衝動と承認欲求、この2つの背反する事象を如何にうまく折り合いをつけるかが今後の僕、および世界の課題となりそうです。