僕の高3時の数学教師は凄い怒る人でした。
数クラス先から怒鳴り声が聞こえてくるような、校内随一の鬼教師と有名でしたね。
で、僕は落ちこぼれだったので当然のように彼の逆鱗に触れまくります。
「まあねぇ、僕くらいのアウトローになるとさあ、怒られるのにも慣れてくるっていうのかなぁ。」
「みんなが怯えながら予習に勤しんでるなか僕は優雅に漫画読んでたしぃ?てか面倒くなって最後の方は授業参加すらしてなかったしぃ?」
みたいな拗らせ方をしたこともあって、結果現役時代の数学の成績はさんざんでした。
で、その鬼教師が授業で何を言ってたかはほとんど覚えてないんですが、僕はこの数学の授業から社会の縮図を学んだように感じます。まあ社会経験なんてこれまでしたこともありませんが。
恐怖政治
先の通り彼は怒ると非常に怖いため、殆ど誰も逆らおうとしません。多くの人が怯えながら膨大な量の予習を他の教科の勉強時間を削ってやってました。
で、予習も何もせず授業を受けようものなら授業中に容赦なく罵倒されます。
これは当人への罰というより周りへのみせしめとして機能していたと僕は思います。「俺の授業について来れんかったらお前らもこうなるんやぞ。」的な。
つまりサボる側の人間がサボればサボるほど見せしめの頻度も増え、かえって「まじめ」な人の恐怖心が駆り立てられる構図になっていたわけです。
権力者への依存
「そんな嫌ならそもそも授業受けるなよ」という指摘はもっともなのですが、そういうわけにもいかないようでした。
地理とか漢文とか、入試におけるウェイトが小さい科目なら皆サボったと思います。
でも彼の担当は理系にとって最重要の数学だったんですよ。
だから「嫌だ受けたくない」という逃避心よりも「もし受けなかったら数学で落ちこぼれて不合格になりかねない」という不安感が勝り結局授業を受けるんですよね。
「いや、でも数学が重要な教科ならば膨大な予習は意義があるものなのでは?サボっていた筆者は単に受験勉強が嫌なクズだったのでは?」
みたいな指摘があるかもしれません。
全くもってその通りです。
権力者の好き嫌い
鬼教師の彼も人間なので当然人の好き嫌いがあります。
まず女性。彼は異性に対しては叱りつけはするものの罵倒や怒鳴りつけは一切しませんでした。紳士的ですね。
あと天才肌の人間。僕のクラスには生物オリンピック最終選考者とか全国模試一桁とか凡人の到達できない領域の人間がそこそこいましたが、彼らが不可解な解き方をしても何もツッコまれなかったですね。前に僕がツッコんでみたら更にわけわからんこと言われて「はえ〜」としか言い返せませんでした。
で、逆に嫌われるのは反感的な態度の人間。まあそりゃそうですよね。僕が教師の立場なら、間違いなく僕のような人間は気に食わないです。
少しくらい反省して真面目に予習すればいいものの、結局やってこず罵倒されても生返事するだけですからねえ。そりゃ嫌われますって。
で何がいいたいか
まあ権力者も嫌われるようなこと沢山してますが、それに逆らおうとする人間も基本的にはクズだということです。
でもクズって楽なんですよね〜。
だからもっとクズになる。