結論から言うと、僕は自主的向上心が全く無いが故に親からの投資に対して罪悪感を抱くのです。
冬季講習の今日から始まった講座がしっくりきません。
僕はそんなとき親に対する罪悪感を感じます。せっかく高いお金を払って講習に行かせてもらっているのに糧にできそうになくて申し訳ないと。
罪悪感を感じる瞬間は他にもありまして。
模試で結果が悪いとき。早起きして弁当を作って貰っているとき。私立大学の併願校を相談するとき。等々。
本来ここで感じるべき感情は罪悪感ではなく感謝なのではないか、というのが一般的な意見でしょう。
僕もそれを観念的には理解しているのですが、それでも感覚として罪悪感が感謝を上回ります。
これの原因は、僕の学業に対するモチベーションの低さです。
やりたくもない勉強に多大な投資をしてもらい、且つ結果すらも残せない現状がやるせないわけです。
高校以前もモチベーションは皆無でしたが、結果だけは出せていたし、そもそも多大な投資を要する境遇でもなかったので、罪悪感を感じる機会すらなかったんですよね。
思うに僕のような人間は実は沢山いて、だからこそ高等遊民とか受験鬱なんて言葉が世間でまかり通っているのかもしれません。
「フッ、今日も僕のポエムが冴え渡r…」
「こんなしょうもないこと書いてる暇あったら単語帳でも開けんかあああい!!!」
たわば。