皆さんは「集団ぼっち飯」というワードをご存知でしょうか?
「集団ぼっち飯」とは、駿台の昼休みの教室において多くの人がいるにも関わらずその大半が1人で黙々とご飯を食べている構図のことを指します。
(集団ぼっち飯のイメージ)
思うに駿台の昼休憩を「集団ぼっち飯」たらしめている要因は大きく3つあります。
1グループに属する必要のないコミュニティ
高校ってなんだかんだいって友達がいないと困るじゃないですか。
ぼっちだと有益な情報が得られなかったり、いじめられるリスクがあったり、忘れ物とかしたとき困ったり、学校行事とかで手持ち無沙汰になったり、何かとデメリットが目立ちます。
それに引き換え駿台はそういったデメリットが殆どありません。
大事な連絡は大体向こうから言ってくれるし、どうせ一年の付き合いなので周りと歩調を合わせる必要も薄いし、忘れ物は受付で借りれるし、行事とかそもそもないし。
まあ正味友達いなくてもそんな実害無いよね〜という感じになり、頑張って友人を作ろうみたいな気力は完全に消滅します。
2浪人生の精神的余裕のなさ
浪人生は間違いなく精神的に余裕がありません。故に「友達なんぞ作ってられるかー」とか「んな暇あったら勉強するわー」みたいな人が結構います。
そこまで一匹狼でないにしても、「昼休みは自習して友達と話すのは行き帰りだけ」みたいな人も多くいるため、友達がいないわけではないけど昼はぼっち飯みたいなケースも結構ありますね。
あと全体的に負のオーラを出してる人が多いので積極的に話しかけたいとお互いに思わないことも多いですね。
3物理的教室密度の高さ
仮に友達を作る気力に有り溢れていて精神的にも余裕たっぷりであったとしても、駿台で誰かとご飯を食べるのは至難の業です。
なぜなら教室が狭すぎるから。
やはり予備校は商売目的なだけあって、教室にはできるだけ沢山の机が押し込まれており、通路とかも高校と比べるとかなり狭いです。
そのため誰かと仲良くなったとしても、その子の机のところまで行ってご飯を食べるというのは、多くの場合机や通路が狭すぎて物理的に不可能なのです。
一応自由に座れる教室みたいなのも少しはあるのですが、その教室もあまり大きくなくおまけに陽キャが占領しているので入る余地がありません。
……そういうわけで、駿台の昼休みの教室では、多くの人がいるにも関わらずその大半が1人で黙々とご飯を食べる「集団ぼっち飯」が常態化しているわけであります。
傍から見ると正直いって異常です。まあ僕もその異常なメンバーの一人なんですけど。
でも、一人でぼっち飯するよりかはみんなでぼっち飯した方が虚しさも半減するので、まあそういう意味では案外悪くないかもしれません。
とりあえずそんなかんじです。