自己啓発本アンチって結構いるじゃないですか。
いわゆる「自己啓発本読むなんてダサーイ」と思ってる人たちです。
僕も心のどこかで「自己啓発本は仮面ライダーエグゼイド並にダサい」と思っているような節があるんですが、具体的に何がどうダサいのかと聞かれると返答に困ります。
というわけで、「僕は何故自己啓発本にダサさを感じているのか」をちょっと真面目に考えてみました。
1自己欲求の露呈感
自己啓発本って、当然その本に書いているスキルやマインドが欲しいから読むわけじゃないですか。
だから自己啓発本を他人の前で読むことは、自身がそういった欲求を持つことを周囲に見せつけるのと同義だと僕は感じてしまうわけです。
ちょっと極端なたとえですが、「彼女募集中」ってプリントされたTシャツを着て歩くのと同じ種類の恥ずかしさが自己啓発本にはあるように思います。
まあ案外そういう大胆な行動に出れる人の方が早く彼女をゲットできたりするんですが。
2「意識高い系」というレッテル貼り
ネットを中心に、「自己啓発本を読んでいる奴は意識高い系だ」というレッテル貼りがされる傾向があります。
ちなみに「意識高い系」とは、志だけは高く実績が伴っていないような人を指すスラングです。個人的には「意識だけ高い系」と言ったほうが分かりやすい気がする。
で、僕もそういう風潮に流されて、
自己啓発本は意識高い系が読む
→意識高い系はダサい
→よって自己啓発本はダサい
のガバガバ三段論法で自己啓発本にダサさを感じているわけです。
まあでも冷静に考えてみると、意識が高く行動もそれに伴う人が「意識高い系」を軽蔑するのはいいとして、行動はおろか意識すら高くない僕が「意識高い系」を馬鹿にできるのか、というと答えは否です。
「意識すら高くない系」の僕は「意識高い系」以上にダサいことが判明しました。
まとめ
この記事を書いているうちに自己啓発本が嫌いな僕は、単に向上心のある人々に嫉妬しているだけの努力も挑戦もしないクズな気がしてきました。
現に今ブログ書いてるのも受験勉強からの現実逃避ですからね(センターまで残り約80日)。
そろそろ現実逃避から脱却できるよう自己啓発しなきゃですね。
まあそんな感じです。