人は自身の境遇になんらかの不満があるからこそ、他人やら社会やらに文句を言うのてはないか、という仮説は別に僕が初めて発見したわけでも何でもなく、多分2千年くらい前から一般常識として広まっていたのでしょう。
昔はそういう人間にはなりたくないと思ったものですが、どうもクレーマーというのはなりたくてなるものではなく、ひとりでになってしまうものだと最近分かりました。
つまり、僕自身がクレーマーになってしまっている、ということです。
しかしこのクレーマーというのは勝手な生き物で、自分は努力しないくせに敵の輝いている面だけを叩いて、その裏の積み重ねとかを全く考慮しないわけですよね。
リア充はリアルを充実させるために行動ができる人間を指す言葉であり、非リアの「非」は「非充実」ではなく「非行動」を意味するのだなあ、と思ったりします。
ただ同時に、面倒な「行動」を起こすくらいなら非リアでもいいか、と考える側面もあります。
「フッ、今日も僕のポエムが冴えわたr」
「面倒なら大学受験なんぞ辞めちまええええ!!!ただで勉強してるんちゃうぞおおお!!!!」
ひでふ。